【幼少期~小学校時代】
とにかくじっとしているのが苦手で、
やんちゃ、わがままな子供でした(笑)
不注意で怪我をすることも良くあり、
小学校低学年までで3度ほど頭から血を流して、
MRIやCT検査のお世話になっております。
両親が共働きだったこともあり、
習い事や近所に住む同年代の子たちと遊ぶ時間が、
寂しさを紛らわす術となっていた様にも思います。
小さい頃からアトピー性皮膚炎に悩まされていて(悩んでいたのは親の方で、本人はわりと無頓着・・・)、
肌の状態が見るに堪えないような頃もあり、
ストレスを感じていたこともありましたが、
当時の友人たちが優しい人ばかりで、
それが原因で避けられたり、いじめられたりということはありませんでした。
→ブログより『余計なお世話も良いお世話』
【中学校】
委員会活動や生徒会活動に参加するのも好きで、
2年の途中から生徒会の議長を務めさせていただいた経験もあります。
中学3年の夏、
2000年7月5日のことでした。
僕がサッカー部の中体連の試合をやっている頃、
仕事中だった母がくも膜下出血で倒れました。
一度、仕事に戻ってからまた応援に来てくれるといった母が、
会場にいないなというのは気付いていましたが、
僕がその事実を知ったのは大会を終えて家に帰ってからのこと。
姉が泣きながら説明してくれましたが、
何が何だか分からず、
何故だか普段読みもしなかった新聞の夕刊を開いた記憶が鮮明にあります。
「生きるか死ぬか半々」と聞かされた重みで、
どんどん手が震え、涙が溢れて止まらなかったことは、
この身体に深く深く刻まれています。
幸いにも一命を取り留め、
今も元気でやっていますが、
手術後の集中治療室で目を覚ました母が、
家族と一緒に帰ろうとして起き上がろうするのを、
看護士さんが全力で抑えていた姿を思い出すたびに、
今でも同じ温度で涙が出てきます。
【高校時代】
北海道札幌北高等学校に入学。
入りたかった放送部に入部し、
アナウンスを勉強をしていきます。
ただ、
歯列の矯正を始めてから、
思うように口を開けなくなって話しづらくなってしまい、
ずっとやりたいと思っていたことだったにも関わらず、
うまくいかないストレスなどで、
結果的には秋頃に退部しました。
その後は、
小学校で一緒にサッカーをやっていた仲間が集まって、
フットサルチームを作るという話に賛同し、
フットサルとコンビニエンスストアでのアルバイトに夢中になっていきます。
高校1年の夏休みが後半に差し掛かった8月12日。
早朝に母方の祖母が亡くなりました。
同じ屋根の下で暮らしていた期間もありましたし、
近い身内の死というものを初めて体験して、
かなりのショックを受けていました。
その日の夜は叔母の家に家族で泊まる予定で準備をしていました。
ところが、
日付が変わって1時間ほどした頃、
今度は父方の祖父が亡くなりました。
こちらは住んでいる家が近かったので、
よく遊びに行っていましたし、
大好きなおじいちゃんでしたから、
ショックの上にさらにショックが重なりました。
この頃からだと思いますが、
生きる意味であるとか、
勉強をする意味であるとか、
学校に行く意味に迷い始めます。
わざと遅刻したり、
具合が悪いふりをして早退したり、
学校に行ったふりをして、
親が仕事で家を出た後に家に帰ってきたり。
教科によっては出席日数がぎりぎりだったものもありました。
思春期特有の漠然とした悩みや揺らぎみたいなもののやり場もなく、
ただただ『今』を拒否する行動だったのかなと思います。
母だけはそんな僕に気付いていて、
「学校をやめると言い出すんじゃないかと思っていた」と後々言われました。
学校というものが苦手であっても、
勉強そのものは好きでしたので、
なんだかんだで3年生になれば周りの流れも相まって、
大学受験へと向かっていくこととなります。
将来、何がしたいのか?
これは大きな壁でした。
【自宅浪人~大学時代】
1度目の大学受験に失敗し、
準夜のアルバイトをしながら自宅浪人をしていました。
なるべく両親が起きている時間には家に居ないようにしながら、
悪化する両親間の関係や、
自分と父親との関係をやり過ごそうとします。
顔を合わせたくなくて、
部屋に閉じこもって引き籠もるような生活をしていた時期もありました。
無事に合格を果たし、
横浜国立大学教育人間科学部へと進学します。
合格したことそのものよりも、
実家や地元に対して、
やっとここを離れられるという思いがとても強かったです。
大学1年次は、
順調に単位も重ねていきましたが、
2年次の春、
両親の離婚を期に、
自分の力で生きたいという思いが強くなり退学。
当時アルバイトしていた居酒屋でのフリーター生活を始めます。
【社会人時代】
居酒屋で3年働いた後、
(株)東急グルメフロントという会社のもつ、
ドトールコーヒーショップ東横渋谷店でアルバイトとして勤務し始めます。
途中からカフェ部門のパートナー社員という形でトータル10年勤務しました。
26歳の夏、
5歳下の仲の良かった後輩を失います。
命に関する記憶は、
自分の人生のところどころで、
身を引き締められる思いにさせられてきましたが、
自分よりも若い命が失われる悔しさの様なものは、
きっとずっと消えることがないように思います。
ちょうどこの頃に一緒に働いていた上司が、
僕にとっての人生の師というべき存在で、
懐深く人を受け入れ、
許すということの偉大さを学ばせていただきました。
20代後半に入り、
自分の人生を見つめ直したり、
今後について考える中で、
もう一度、勉強がしたいことがたくさんあると思い至り、
2017年に札幌に帰ってきます。
スポーツクラブやカフェでアルバイトをさせていただきながら、
心理の勉強を続け、
2021年夏からくれたけ心理相談室に仲間入りさせていただき、
心理カウンセラーとして活動しながら、
勉強も続けております。