毎日が誰かの

誕生日。そして・・・。

 

 

 

9歳の誕生日の朝でした。

1995年1月17日。

阪神・淡路大震災。

朝はテレビを付けない家庭でしたが、
その日はたまたま家族の誰かが早起きをしていてついていたテレビ。
その中で広がる目を疑ってしまうような光景。

高層ビルや高速道路が崩壊したり、
ひしゃげたりする映像や、
日々増えていく被災者の数は、
あまりにも衝撃的でした。

 

自分が祝ってもらえる日に、
どこかで誰かが亡くなっている。

素直に喜べなかったことを今も覚えていますし、
今もこの日が来るたびに、
「あれから何年か」と空を見上げてしまいます。

 

生きるということは、
生まれたその瞬間から、
すなわち死に向かうということ。

誰にでも、
終わりが来るってこと。

漠然とは分かっているつもりでも、
身の回りにそれが来ないと、
どうしても弱い感触になってしまいがちなものです。

かといって、
1分、1秒ごとに、
誰かの命を想えば良いということでもありません。

 

ただ、
たとえば、こういった機会に、
ふと、その出来事を、
あの人を想って、
また、自分を生きる呼吸をする。

その時間があっても良いのかなとは思います。

 

亡くなった誰かの分も生きるという考え方は、
とても大きな愛のある考えだとは思いますが、
時にそれが重圧になってしまうとしたら、
あまり積極的におすすめしたいとは思えません。

それでも僕は、
10年前に亡くした後輩のことを想ったり、
6年前に亡くした大学の同期を想ったりしながら生きてしまいます。

余計なお世話だと思われても、
自分は自分の人生を生きろと言われても、
それぞれのその日を想うことも、
間違いなく僕の人生。

 

 

 

あらためて、
たくさんの出会いと別れに感謝して。

36歳。

最高の寅年にします。

投稿者プロフィール

榊原一樹
榊原一樹くれたけ心理相談室札幌支部 心理カウンセラー
ご覧いただきありがとうございます。

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