Future Teacher

先日、何かでお見かけした“先生”という言葉について。
ごめんなさい、
出所を保存していなかったので、
また見つけたらリンク等を載せさせていただきます。

 

“先”に“生”まれただけ、という解釈と、
これから“先”を“生”きるという解釈。

これすごく好きなんですよね。

 

中学~高校生くらいの頃、
いつか自分で歌を作ろうなんて思っていて、
ピアノの弾き語りを練習したり、
アルバイトで貯めたお金でアコースティックギターを買って練習したりしていました。

そして言葉に触れるのが好きだった僕は、
恥ずかしながら歌詞っぽいものも書いていました。

なんとなくその中のフレーズの一部って今も覚えていたりするのですが、
『先に生まれただけで先生と呼ばれて~』みたいなことを書いていたなと、
先程の表現を拝読して思い出しました。

 

もともと、
相手が大人だろうと納得いかないことには、
応戦し続けていた厄介な子供だったと自負しています(笑)
授業中に先生を困らせる発言をするとか、
提出するノートに長々と抗議文みたいなものを書くとか・・・。

一番記憶に残っているのは、
ちょっとやんちゃな友人が、
先生の机に誰かがした悪戯の冤罪で、
クラス全員の前で問い詰められていたときに、
その行為が行われた頃にその友人と別の場所にいた僕は、
彼がやっていないというのは100%自信を持って、こう言いました。

「何か証拠があるんですか?
さっきまで僕は彼と一緒に教室の外に居ました。
先生が生徒を信じなくていいんですか?」

武者震いなのか緊張なのか、
身体は震えていましたし、
すごく身体と頭が熱くなっていたような記憶はあります。

 

その後、どうなったかははっきりとは覚えていないのですが、
その教師の方が事をうやむやにしたので、
その辺りから“大人への信頼”みたいなものが僕の中ですごく揺らいだのだと思います。

そして高校時代にもやはり同じような教師の方に出会ってしまい、
思春期の反抗スイッチみたいなものが強く押された結果の歌詞への表現だったのでしょう・・・。
若かったなぁ(笑)

 

若かりし頃の僕のその表現は、
「先に生まれただけのくせに」というような皮肉しか込めていなかったと思いますし、
では何か他の表現ができただろうかとか、
「これから先を生きる人も先生」という考えには到底至りませんでした。

なので、
この言葉を最近拝読して、
あの頃の不満やうまくまとまらない気持ちと、
そこから20年以上生きてきた自分の気持ちがリンクして、
すごくしっくりときています。

 

人生って正解はないですし、
皆が皆、明日を初めて体験していくもの。
もし何かを悟るのなら、
最後に目を閉じるその瞬間までとっておきたいです。

そう考えると、
僕は生きることにワクワクしてたまらないですし、
出逢う相手の老若男女問わず、
自分とは違う人生を歩んできた経験や感情をお聞きできることは、
すごく刺激的で勉強になること。

相手の立場や年齢などで、
せっかく享受できるものを無駄にしてしまうなんて、
もったいないの一言に尽きるなと思います。

 

時に自分を顧みて、
敬意と感謝を持って、
謙虚に生きていきたいなとあらためて思うのでした。

 

ちなみに、
「先に生まれただけ」という表現に語弊があるといけないので。
これは先生と呼ばれるのが苦手という方が謙っておっしゃった表現から来ているので、
今の人生の先輩方に僕がそう思っているという訳では決してありません。

投稿者プロフィール

榊原一樹
榊原一樹くれたけ心理相談室札幌支部 心理カウンセラー
ご覧いただきありがとうございます。

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