時間が解決してくれる
こともある。
すべてではないと思います。
悲しみの深さは、
出来事やその人の感じ方によって違いますし、
“解決”という表現すらも、
正しいかと言われれば、
それもまた捉え方は人それぞれ。
そして悲しみの渦中にいるときは、
どんな慰めの言葉も耳に入ってこないことだってある。
今年の2月22日のブログ『ひとりぼっちがせつない夜』で、
亡くした友のことを書かせていただきました。
彼の命日が7月17日で、
今年で10年。
亡くなった人の時計はそこで止まっているのに、
僕の時間は動き続けている。
ときどきそのことを、
不思議に、奇妙に思ったり、
あらためて有難さを感じたり。
今だって、
記憶の中のアイツは笑ってるし、
ちょっとバカにして僕のことをいじってきたりするし、
軽快にバレーボールをしていたりする。
それでも以前よりは、
その思い出のワンシーンを見つめる自分の目は、
悲しいものではなくなってきた気がします。
しっかりと受け入れて、
でもそれは忘れることではなくて、
あらためて心に刻んで、
どこかで見ていてくれているのだとしたら、
誇れる自分で居たい。
誰かの分も生きるとか、
誰かのために生きるとか、
具合が過ぎてしまうと、
それはエゴになりかねないと思うので、
今の僕は、
今の僕をしっかりと全力で生きること。
それで良いのだと思います。
君は今、
そこで何を想う?
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ここがあなたの心の寄り処になれますように。
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