15の夏
高校1年の夏休みもあと1週間というあたりの朝早く鳴った電話。
もうその時点でなんとなくわかってはいましたが、
母方の祖母が亡くなったという母からの電話でした。
2001年8月12日。
一緒に暮らしていた時期も長くありましたし、
身近な身内の死というものを初めて経験したあの日は忘れることはありません。
よく大相撲をテレビで一緒に観たり、
そのあとから僕がやるテレビゲームをずーっと見ていたおばあちゃん。
22年経った今でも声や表情、匂いなんかは覚えているものですね。
その日は葬儀の準備などで叔母の家に母と姉と3人で泊まる予定で居ました。
ところが、日付が変わって深夜1時頃だったでしょうか。
今度は父方の祖父が亡くなったという連絡。
そろそろかも知れないとは聞かされていたものの、
訃報が重なるとはさすがに思っていませんでした。
近所に住んでいたおじいちゃんとはよく将棋をしてもらったり、
庭で遊んでもらったり、家庭菜園のお手伝いをしたり、色々なお話を聴かせてもらったり。
母方の祖父が僕が生まれる前に他界していたので、
おじいちゃんと呼べたのは父方の祖父だけ。
本当に大好きだったんですよね。
やはりその笑顔も声も、あの家の記憶も手に取るように思い出すことができます。
以前にブログ『母の日』の中でもお話しましたが、
この前の年の7月に母がくも膜下出血で生きるか死ぬか半々と聞かされた経験をしていたこともあり、
当たり前の日々を突然失いうる恐怖や、命あるものには終わりがあるということを強く考えさせられた夏でした。
自分よりも若くして亡くなった後輩や大学の同期も含め、
近しい人の命の記憶を毎年忘れることはないのですが、
今年は何だかより家族のことを考え、
家族に会いたくなる年だなと自分で感じています。
横浜に住んでいた時は4年に1度くらいしか帰省もしていませんでしたし、
同じ関東に居た姉とも1年に1度会うか会わないかくらいだったのに、
先日の姉との再会はとても楽しみにしていましたし、
明日から帰ってくる母と会えるのもいつになく楽しみにしている自分がいて、
いい歳してなんだかなぁと自分でも不思議です。
それぞれが今日、それぞれのステージで自分の今を生きて、
今見えるものに感謝をし、
それを言葉にして「ありがとう」と伝えていく。
当たり前なんてないんだと思います。
“有り難い”という心。
あらためて大切にしていきたい感情です。
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