受け容れること

2か月ほど前のことだったでしょうか

道端で
大学生くらいの男女3人組に
「プレゼンの練習をしているのですが、
お時間5分ほどいただけませんか?」と呼び止められました

ゼミの課題とかなのかな?と思い
特に急いでいたわけではなかったので
お話を聴いてみることに

何の話をされるんだろう?と思っていたら
『最後の晩餐』を絵を見せられ
「この絵の意味ってご存知ですか?」と話が始まりました

ここまでは何の話かまだ分からずに聞き入っていたのですが
このあとキリスト教の“過越祭”というお話が出てきた時に
「あ、これは宗教の勧誘だったのか」と気付きます

僕自身は無宗教ですが
宗教を否定するつもりはまったくありませんし
宗教や哲学のそれぞれの考え方ってとても面白いものなので
単純に興味でそのままお話をお聴きし続けていました

この先の世界がどうなるかという話の流れの中で
「災いがあったら逃れられたら良いと思いませんか?」
というようなことを聞かれたのですが
僕はそこで
「うーん、命はいつか終わるものだし、
これまでも大小さまざまな災いに直面したけれど、
それはそれとして受け入れてきて今があると思っているんですよね」
と答えました

「メンタル強いですね」と笑われて
心の中では(こういう仕事をしていますから)と思いつつ
「起こったことにバタバタしたり、
うろたえたりしてもしょうがないというか、
そこからどうするかの方が大事だと思っています」
と元気にお答えして話を聴き終えました

最後に
「もっと深いお話をしたいので
連絡先を教えていただけませんか?」
と聞かれたのですがそれはお断りし
「またどこかで偶然出会えたら、
そのときにまたお話お聴きしますね」
と笑顔でお答えしました

知らない方に話し掛けられたり道を聞かれたり
写真を頼まれるとかアンケートを取られるとか
若い頃からよくありましたが
こういうパターンもあるんだなと勉強になりましたし
災いと神についての捉え方という意味でも勉強になる体験でした。

投稿者プロフィール

榊原一樹
榊原一樹くれたけ心理相談室札幌支部 心理カウンセラー
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