“大丈夫おじさん”の原点
子供や年下の方と関わるときに
自分のことを“大丈夫おじさん”と名乗ることがあります
「もう大丈夫だからね」
「(今が大丈夫じゃなくても)一緒に大丈夫になろうね」
「どうしたら大丈夫になれるか、一緒に探そうね」
「大丈夫、それで良いんだよ。それも良いんだよ」
そんな風に寄り添いつつ
しっかりとした根拠を持って伴走する
いえ、その方の人生を伴奏すると言った方が
耳触りが良いような気もします
自分の中の“大丈夫おじさん”の原点を探ると
子供の頃、お世話になった方々の顔が浮かびます
たとえばそれは母や姉であったり
幼稚園や学校の先生であったり
その中でも勇気をくれた“大丈夫”の記憶は
病院の先生や看護師さんだったなと思い出します
アトピー性皮膚炎を抱えていたので
皮膚科にずっと通っていましたし
子供の頃に何度も頭を打って運ばれたりしていたので
病院にはよくお世話になっていたのですが
どの先生も看護師さんも
笑顔で“大丈夫”をくれたなと記憶しているんですよね
痒いとか痛いとか辛いとか
そういった負の感情を
その誰もが受け止めてくれて
寄り添ってくれた
全部が拭い去られたわけではないけれど
それらの“大丈夫”は確かに優しくて温かった
大人になってから受け取った“大丈夫”もありました
それもまた
とてつもなく肌が荒れた厄年に出会った横浜の皮膚科の先生であったり
同じ頃に職場で出会った幾度となく優しく守ってくれた上司であったり
これらの“大丈夫”は勇気になっただけでなく
僕も誰かに与えたいと思えるようになった大きな要因になっているように感じます
時には根拠のない“大丈夫”がありがたいこともあれば
確固たる根拠があった方が安心できることもある
広く大きく
持ち合わせていたいなと思います
あなたもわたしもきっと
大丈夫ですからね
今が大丈夫じゃなくても
一緒に大丈夫を奏でていきましょうね。
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ここがあなたの心の寄り処になれますように。
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