わたしの美しい庭
速読のように読むのが速い姉
暇さえあれば食事中でも電車の中でも本を読む母
読書家ばかりの家庭に育ちながら
自分自身が読書に打ち込めるようになったのは
高校の終わり頃から大学生になってからでした
その世界にのめり込む時間って
ただただ楽しみもあったり
非現実的な味わいでもあったり
ときには現実と繋がる要素に喜びや傷みもあったり
今ではすごく素敵な時間だなと思えるようになっています。
今日は凪良ゆうさんの『わたしの美しい庭』という作品から。
5歳で両親を亡くした小学生の百音。
その百音の母の元夫で、2人の死後、百音を引き取ることになった統理。
あるきっかけから隣に住むことになった統理の同級生でゲイの路有。
百音と統理は血がつながっておらず、
文庫版 裏表紙より
その生活を“変わっている”という人もいるけれど、
日々楽しく過ごしている。
三人が住むマンションの屋上には小さな神社があり、
断ち物の神さまが祀られている。
悪癖、気鬱となる悪いご縁を断ち切ってくれるといい、
“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるが
3人とそれを取り巻く周囲のそれぞれの物語が、
優しく、どこか切なく絡まっていて、
家族、夫婦、恋人、同性愛、死別、仕事、うつなど、
今もこの世界のどこかで奏でられているような様々なテーマが散りばめられていますが、
ただ悲観するだけではない絶妙なテンポ感と言葉のやりとりが繰り広げられていきます。
好きだった文章をいくつか。
青すぎた高校時代を経て、今や三十代も半ば、俺はずいぶんと図太くなった。いちいち傷ついていたら生きていけないほど世の中は世知辛かったし、たまに絶望するほど意地が悪かったし、けれどそのときどきで心を救ってくれる出来事や出会いがあった。
誰かにかけた情けが巡り巡って自らに返ってくるのと同じように、悪しき行いをすればいつかなにかの形で自らに返ってくるのだと。
血でつながれないなら他でつながるしかない。愛情と寛容と忍耐を駆使して、それでも喧嘩は勃発し、小さな家の中で顔を背け合い、翌朝も不機嫌にすれ違い、仏頂面で向かい合い、気まずく朝食を食べ、昼くらいには反省しはじめ、しかたない、帰ったらこっちから謝るかと思いながら午後をすごす。
他人同士なんて死ぬほどめんどくさいことを繰り返すことでしかつながっていけない。わかっているのに失敗する。
久し振りに本を読みながら涙が溢れました。
哀しみに対する感情と、それを乗り越えていく温かさや優しさに包まれる心地好さ。
史上最速くらいの速さで読み終えました。
またいつかあらためて読み直してみたいと思える作品に出逢えました。
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ここがあなたの心の寄り処になれますように。
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