失うものが多すぎて
仲良くしていた友達は
いつも親御さんの仕事の理由で転校してしまったり
進学で別々の道に進むことになったり
慕っていた先輩は
異動になったり転職してしまったり
大好きだった役者さんやバンドは
早くに引退してしまったり解散してしまったり
よく行っていたお気に入りのお店は
しばらく行けないでいるうちに閉じてしまっていたり
よく使う日用品は
最寄り店で取り扱わなくなったり廃番になってしまったり
そういう人生なんだなって思っていたことがありました
大切な後輩が亡くなった時も
家族が分かれて形を変えた時も
なんとなくネガティブに捉えていた自分がいました
それでも僕はここまできて
今日を生きている
どうしてだろう?
もちろん寂しさや悲しさはありますが
いつからか「それだけではない」と捉えられるようになったから
「それだけで終わらせてはいけない」と思えるようになったから
ここまで来れているのかも知れません
誰かや何かとお別れすることもまた
1つのきっかけやタイミングであり
そこからまた新たな出会いが生まれたり新たな道が開けたりする
新しいものを受け入れるってことは
決して先に在ったものを忘れるってことではなくて
そのどちらからも自分を成長させてもらえる機会だとしたら
とてもありがたいことなんだと気付きました
人は時に誰かや何かに執着しすぎてしまったり
悲しみの沼に溺れそうになることもあるかも知れないけれど
それ自体は決して悪くないこと
思い入れの強さゆえに生じる感情や行動なんだと思っています
大切なのはその波が落ち着いた時に
その出来事を自分でどう消化して
今後に生かしていくかということなのかも知れません
あらためて
これまでのすべての出会いや経験に感謝を。
投稿者プロフィール
-
ご覧いただきありがとうございます。
ここがあなたの心の寄り処になれますように。
榊原一樹のプロフィールはこちらからご覧ください。
最新の記事
- 人生2024年11月24日報われたと気付くとき
- ふたり2024年11月23日強すぎて優しすぎた
- カウンセリング2024年11月22日その後、いかがですか?
- スポーツ2024年11月21日批判的に見てしまう癖