帰る場所

僕には実家がありません。

 

僕が20歳の時に両親が離婚し、
実家を売ったので、
それから僕には、
実家に帰るという風習がなくなりました。

 

 

もともとは、
すごく仲の良い家族だったと思います。
周りの友人やその親御さん、学校の先生などからも言われていたくらい。

 

歯車が狂い出した出来事を挙げるとするならば、
僕が14歳の時、
中学3年の夏に、
母がクモ膜下出血で倒れたことでしょうか。

本来ならそういうことがあると、
家族の結びつきが強くなりそうなものですが、
その頃から、
何が変わったのか、
両親の不和が少しずつ見え始め、
僕自身も父との折り合いが悪くなっていき、
姉が大学に進学して関東に出てからの3人での生活は、
随分としんどいものでした。

 

両親は些細な言い合いから、
毎晩のように怒鳴り合うようになり、
それを聞かされる僕も憂鬱になって眠れなくなったり、
部屋に閉じこもる様になったり。

冷静に本音を話し合う機会を失った両親に、
今の僕なら出来ることはあったかななんて思ってみることもあります。

 

僕はいつからか、
その実家を離れることを目標に北海道外の大学進学を目指して勉強をするようになるのですが、
努力の足りなさはもちろん、
その中途半端な気持ちでの行動も見透かされてか、
その夢は破れ去ります。

 

それでも日々は続く。
絶えない言い争いから逃げたくて、
なるべく自力で進学できるように、
そして両親が起きている時間に自分が起きていなくて済むように、
準深夜帯のアルバイトをしながら自宅浪人をしつつ受験費用を稼ぎました。

10月くらいまではほぼアルバイトとフットサルばかりの日々。
たまたま同じマンションに住んでいらっしゃったアルバイト先のコンビニエンスストアのオーナーさんに、
「そろそろ勉強に集中したら?」と笑いながら言われて、
いったんアルバイトをお休み。
約3か月、
必死に勉強して、
なんとか無事に合格に漕ぎ着けたのでした。

その時の気持ちは、
合格したことそのものより、
「ここを離れられる」という安心感が何よりだったように思います。

 

翌年、
春に帰省した時に、
すでに両親は別居していました。
僕も実家には帰らず、
母がその当時住んでいた母の妹にあたる叔母の家にお世話になっていました。

母からは、
「多分、離婚すると思う」と言われ、
僕は、
「よかった。その方が良いってずっと思ってた」というような返しをしたと思います。

父がいない間に実家に帰って、
自分の必要な荷物は横浜の家に送り、
その他は処分をお願いして、
ポストに鍵を入れて去ったのが最後でした。

 

寂しいなと思うことはあります。
4人で過ごした日々が在ったことは消せないし、
その時は本当に楽しいと思って笑っていた。
家で焼肉をして家中が臭くなった思い出も、
初めての立体駐車場のボタン操作をドキドキしながらした思い出も、
エレベーターと階段のどっちが速いか全力で走った思い出も、
もう別の家族の記憶かのように幸せそうな映像が浮かんできます。

だけど、
戻りたいかと言われたら、
いや、もう良いかなって答えると思います。
きっと、苦笑いをしながら…。

 

横浜に住んでいた12年の中で、
僕は4年に1度くらいしか帰省しませんでした。
母から「オリンピックみたいだね」と笑われ、
「帰る家がなくてごめんね」と謝られたこともありました。

でも、帰る場所というのは、
きっとそういうことじゃないと僕は思っていて。

 

帰る場所

そこに思い出の場所や景色があって、
そこに思い出の人がいて、
それを思い出す匂いがあって。
それで良いんだと思います。

それは実家でなくても、
それは家族でなくても。

 

もし失いたくない場所があるならば、
今ここでできることを最大限に。

 

もう戻れなくなる前に。

帰る場所

投稿者プロフィール

榊原一樹
榊原一樹くれたけ心理相談室札幌支部 心理カウンセラー
ご覧いただきありがとうございます。

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