トラウマのようなもの
トラウマ(心的外傷)とは、
ウィキペディアより
外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃を受けた事で、
長い間それにとらわれてしまう状態で、
また否定的な影響を持っていることを指す。
トラウマと呼べるのかは分かりませんが
僕は救急車のサイレンの音が苦手でした
クラクションや花火など
突然出る大きい音が苦手だということもあったので
そういう類のものだと理解していたのですが
20代のある時
サイレンの音を鳴らしてすぐ傍を通る救急車が怖くて
その場で立ち尽くしてしまうというか
頭がグルグルして立ち竦んでしまうことが何度かありました
これは何なのだろう?
初めは諦めていましたが
理由や仕組みを解明したがりな僕は
色々と考えました
思い当たったのは
母のことでした
以前にお話しさせていただきましたが
中学3年の時に母がクモ膜下出血で倒れたことがありました
⇒『母の日』(2022.7.5ブログ)
僕自身は母が運ばれる現場に立ち会っていたわけではないにもかかわらず
そういえばその後から救急車やそのサイレンの音に対して
敏感になっていたような気がする
そう気付いたのです
“クモ膜下出血”という言葉自体も
耳にするとぞわっとするような
心がきゅっとするような気持ちになることが今でもあったりします
このままじゃ嫌だな
克服したいなと思った僕は
あることをやっています
どんな事情で救急車に乗られているかは分からないけれど
身体が震えたり心臓の鼓動が速くなるのに耐えながら
「がんばれ、命」と祈ること
生きるか死ぬか半々と言われた母は
24年前のあの日、生きてくれました
祈るしかできなかったけれど
祈りは届きました
だからどこのどなたかは分からないけれど
届くかどうかわからないけれど
「大丈夫、きっと大丈夫」
そう祈ることにしています
いつからかそうしている内に
自分の中での怖さは抑えられているんです
結局は自分のためのエゴなのかも知れないけれど
自分が「大丈夫」であることで
その余力やエネルギーみたいなものを
誰かに届けられるのだとしたら
それはそれで良いんじゃないかと思っています
“克服”って
それぞれの重さや深さ、スピードがあるので
一概にこうとは言えませんが
捉え方や歩み方を変えてみることは
1つのヒントになるかも知れません
この祈りもまた
どこかの誰かに届きますように
そう想うことを
やめないでいきたいなと思います。
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